こんにちは、野球オタクのさわらです!
現在ソフトバンクの育成出身選手が活躍していますが、スカウト陣は無名であった彼らをどのように見つけたのか不思議ですよね?
この謎を解きたいと考えているなら、「ホークス3軍はなぜ成功したのか?」という本がおすすめです。
私はこの疑問を解消するためにネットで調べたり様々な本を読みましたが、この本が1番本人インタビューが豊富であり、出会いについて詳細に記載されていました。
おかげで、ホークスがどのように逸材を発掘しているのかがわかりました。
そこで今回は、一期生と呼ばれる「千賀、甲斐、牧原の出会い」について詳しく解説します。
また、成功の秘密についてもわかりやすくまとめたのでぜひ最後まで読んでください!!
3軍一期生
「3軍制」を導入する時期、当時の2軍監督小川に一本の電話が入ります。
「いいピッチャーがいるんです。ちょっと見に来てくれません?」
紹介された選手はソフトバンクの指名候補リストに入っていませんでした。
ドラフトまで一か月を切ったころでした。
この時点で、全く知られていない逸材などいるのでしょうか。
しかし、小川はスカウトを3人「愛知県蒲郡市」派遣することにします。
それが「千賀滉大」という超逸材との出会いでした。
千賀滉大:2010年育成ドラフト4位
ワンクッション
スカウトに「実力不足」と判断された選手は、経過観察として、高卒の時点では契約をせず、今後もマークし続けるということが、よくあります。
つまり「ワンクッション」おくわけです。
派遣したスカウトが撮影してきた映像を見て小川は驚愕します!
千賀滉大という無名選手のしなやかなフォームにステップの仕方。
「ワンクッション挟んだら、4年後この選手は取り合いになる」
そう考えた小川は映像を見ただけで、千賀を獲ることを決めます。
億を稼ぐ選手
千賀を語るうえで「西川正二」の存在は欠かせません。
なぜなら小川に千賀の情報を伝えたのが、情報通として知られていた正二氏だからです。
東海地域のアマ野球事情で正二に敵う人はいませんでした。
「千賀滉大」という存在を正二がキャッチしたは2010年秋の頃です。
地元の逸材を流出させたくないと考えていた正二は、わざわざ蒲郡まで出向き視察しに行きました。
「ひじの使い方、足の使い方、間違いなく一級品。あいつは億を稼ぐ選手になるぞ。」
プロのスカウトや大学関係者に片っ端から電話をかけ千賀という存在を知らせます。
しかし、楽天やロッテのスカウトに声を掛けますが、スカウト陣は千賀に対して「ワンクッション」と判断します、、
「ソフトバンクはどうなんだろうな」
結果的に、このソフトバンクへの連絡が千賀の人生を大きく変えることになりました!!!
甲斐拓也:2010年育成ドラフト6位
体は小さいけど肩はいい
甲斐拓也も育成枠がなければプロになれなかったうちの一人です。
「体は小さいけど肩はいいよ」
小川はとあるスカウトからそう言われます。
身長168センチと小柄なうえで、甲子園出場機会がなかった甲斐はプロから敬遠された存在でもありました。
94人目
2010年、本指名と育成を合わせて97人が指名された中、甲斐は94人目でした。
その年のドラフト一位は山下斐紹であり、甲斐と同じ高校生のキャッチャーです。
「天と地の差を感じました。同じ失敗をしても山下は怒られないのに僕だけ怒られる。ほんとに悔しかった。」
キャッチャーマスクをつけながらひそかに泣いたといいます。
入団時、身長が山下と比べ12cmも違いました。しかし、、
「どっちがドラフト一位なん?」
スローイング練習の際にどこからか聞こえてきます。”小さいやつ”のほうが明らかにスローイングがよかった。
甲斐は体格にこそ恵まれませんでしたが、だれにも負けない「肩」がありました!!
2016年、小柄であった甲斐に追い風が吹きます。
「コリジョンルール」が採用されました。
(コリジョンルール:捕手がベースをふさいで野手から送球を受けてはいけないというルール)
採用前まで、甲斐のような小柄な選手だとランナーに吹き飛ばされる可能性があるから危険だと思われていました。
しかし、接触プレーがなくなったため、捕手には強肩やリード、守備力が体格よりも重要視されるようになりました。
この追い風のなか、甲斐は2017年に「ゴールデングラブ賞」を初受賞し、気づいたらソフトバンクの守備の要として必要不可欠な存在にまで駆け上がっていました!!
ノムさんを受け継ぐ
2020年2月11日、ノムさんこと野村克也氏が亡くなりました。
この年から甲斐の背番号はかつてノムさんが背負っていた「19」になります。
「俺と境遇が似ている。」
母子家庭、テスト生であったノムさんと育成の最下位だった甲斐。
ノムさんは甲斐にかつての自分を投影していたのでしょう。
「次は君にこの番号をつけてほしい。」
ノムさんのような「ハングリー精神」を持ち合わせていた甲斐だったからこそ、ここまで成り上がれたのかもしれません。
牧原大成:2010年育成ドラフト5位
後の「黄金バッテリー」を指名したことになる2010年の育成ドラフト。
4位が千賀で6位が甲斐でした。
その間に挟まれ、5位で指名されたのは小柄な内野手、「牧原大成」です。
お前がプロ?
「育成はここまで。退出して。」
入団当時のキャンプ中、選手会の総会が行われました。
選手会の一員として扱われない育成の選手は、決議には参加できません。
ファンの対応も明らかに違ったそうです。
ソフトバンク選手をファンが待ち構える中、牧原含む育成選手にサインを求める人はいません。
しかし、牧原が支配下に登録されたとたんファンが牧原にサインを求めてきました。
「悔しすぎてサインしませんでした。一人一人のブランドや背番号しか見てくれていないのかと。」
3軍は大学生と練習試合します。
3軍の試合は観客が少ないため相手ベンチからのヤジが鮮明にきこえてきます。
「なんで、お前がプロやねん」
大学生からヤジられる牧原。
ヤジってくる大学生より明らかに牧原のほうが小柄です。
「そういう経験をしているから、今の喜びがあります。育成出身の僕はとにかくやるしかなかった。」
バスで睡眠
経費を抑えたい当時の経営陣は、3軍の遠征にはバスが1台しか出させません。
8時間という苦闘のバス移動。
高卒1年目である千賀、甲斐、牧原は先輩を気遣い補助席に座ります。
「しんどい時は、通路に寝ました。そのほうが楽だったから、、」
このようなしんどい時期、つらい経験があったからこそ牧原にハングリー精神を生み現在の活躍につながっているのでしょう。
まとめ
いかがでしたか?
今でこそ輝かしい功績を残し、一流選手として誰もが認めるこの三人にはあまり知られていない大きな下積みがありました。
恵まれない環境だったからこその成功なのかもしれません。
詳しく知りたい方はぜひ本を買って読んでみてください!
以上、さわらでした!
【参考文献】
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